葬儀の際の納骨で感じたのは、人間の体というのは借り物だから大切にしなければいけないな、ということでした。

葬儀のマナーと式典のながれ

葬儀の納骨の際の体験談

葬儀のマナーと式典のながれ
祖父の納骨の際、人間の体はこんなに小さな木箱に収まってしまうんだと感じました。葬儀の流れの中で一番辛かったのは火葬の後のお骨を拾う時でした。火葬する前の親族による最後の別れも辛かったものですが、お骨を拾う部屋に入った直後に祖父だったお骨の姿を見た時には思わず姉と泣き崩れました。特に顏周辺のお骨はなかなか直視出来ませんでした。そして箸を使ってお骨を拾い、地方の風習から頭のお骨だけ小さく砕く作業が行われて、祖父の全てが小さな木箱に収まりました。

それを持って寺院に戻り、納骨堂に行きました。人間の体は普段生活しているとわからないけれども、こんなにも頼りない存在なのだと思いました。親戚は「人間の体というのは借り物なんだよ。だから生きてるうちは自分の体を大切に扱わなければいけない」と言っていました。亡くなってしまえば、人の体は赤ん坊が入るくらいのサイズの木箱に収まってしまいます。そして仏壇の下で二度と動くこともなくお骨として存在しているだけにとどまります。お線香を上げにきた人にも、お菓子を上げに来た人とも二度と言葉を交わすことは出来ません。そんなことを考えると、人の意識というのはどこへ行ってしまうのだろうといつも不思議になります。怖くもなります。

もうすぐ祖父の一周忌の時ですが、生者はまた同じように出会い、故人とは思い出としてしか出会えないのでしょう。生きている間は自分を大切にして、悔いのないような人生にしたいですね。

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